1985年8月12日の日航123便墜落事故のドキュメンタリー
ステイホームの状況下でまたしても積読本を読む。1985年8月12日の日航123便墜落事故の遺体確認に従事した元警察官が書かれたドキュメンタリー。
当時の衝撃は今も忘れられない
35年前、事故のニュースに接した時の衝撃はいまも忘れられない。その後の遺体確認のニュースや、機内で書かれた遺書、生存者の救出、回収されたブラックボックスに残っていたパイロットたちの音声、次々と明らかにされる情報やエピソードに接するたびに、人生を強制的に打ち切られた犠牲者たちの無念に胸が痛む。
困難を極めた遺体の身元確認作業
航空機墜落事故では五体が揃った遺体はそもそも多くなく、多くの遺体は損傷が激しいうえに、事故の衝撃で広範囲に散らばったり、遺体が他の遺体にめり込んだり、火災による炭化もあったりして、身元確認は困難を極めたという。
事故発生時が真夏で人里離れた山中であったことも状況を困難にさせた。急速に腐敗したり、蛆が湧いたりという、読んでいるだけで辛くなる表現が続く。
警察官の尽力に頭が下がる
それでも家族のもとに遺体を返すために酷暑とひどい臭気の中で身元確認に誠心誠意全力で取り組んだ警察の皆さんには頭が下がる。
当時はDNA鑑定が一般的でなく、遺留品や遺体の特徴、指紋、病院や歯科の治療記録などをもとに地道な作業が進められた。医師、看護スタッフ、学者、ボランティアの人たちも極限状態の中で犠牲者と遺族に寄り添って最善を尽くす。
最終的に遺体の身元が明らかとなり、遺族のもとに引き取られる。それでも身元不明な遺体の一部分はあったものの、夏から初冬まで続いた検証作業は終了した。
やり遂げた後に著者は空虚な涙を流したと記しているが、最初から最後まで”死”のみと向き合う辛い任務であったと思う。
東日本大震災のドキュメンタリー「遺体」を思い出す
同書を読み終えた後、東日本大震災のドキュメンタリー「遺体: 震災、津波の果てに(石井 光太)」のことを考えた。
日航機事故は犠牲者数が最初から明らかであったことや、山中に墜落したことで陸上で捜索活動ができたために、最終的には遺族に迎えられるという決着を見ることができた。
一方、東日本大震災は今も多くの行方不明者がどこかで見つけてもらうことを待っている。
不慮の死を強いられた犠牲者の無念と残酷な運命には差はないのだが、死んだ後も家族のもとに帰ることが叶わないのはやるせない。
平穏な死が有難いことに思える
航空機事故の遺体の状況の酷さや、災害の犠牲者に関する本を読むにつけ、家族に囲まれて最期を迎える人生がいかに有難いことであるのか、思い知ることができた。
今回は、警察官の立場から書かれたドキュメンタリーだが、自衛隊の活動に関して書かれた本も読みたくなった。
あと、この事故では4人の生存者がいたことに救われた思いを感じた。最後の瞬間まで最善を尽くした乗員の方達の努力が少しでも報われた思いがする。
印象に残る1985年
1985年は記憶に残ることが多く起きた一年だった。豊田商事会長がマスコミのカメラの前で刺殺され、阪神タイガースが21年ぶりのセリーグ優勝と初の日本一を果たし、プラザ合意で円高が進み、夏目雅子が若くして亡くなるなど、多感な時期に多くの出来事が起こって印象に残る。